河内湖から大阪平野へ~東大阪市の歴史~

大阪府地図 リージョンセンター

wikiによると東大阪市の歴史は次のように記されています。”市域は、令制国の河内国中部にあたる。古代にはこの一帯は河内湾と呼ばれる大阪湾の奥にある小さな湾であったが、次第に海から分離して湖となった。その湖が大和川を経て上流から運ばれてくる土砂が堆積したことによって徐々に陸地化したが、こうした経緯から湿地・深田が多く、また洪水に見舞われやすい土地であった。”
この記述を「水都大阪コンソーシアム」のウェブサイトが図解入りでわかりやすく説明してくれています。これによると”古墳時代になると、河内湾は淡水化し、潟となって、やがて河内湖へと姿を変える。淀川や大和川の度重なる氾濫により土砂が堆積し形成された大阪平野は、水害を受けやすい地形であった。日本書記には、大規模な治水・利水事業をはじめ、南北東西の道路を伸ばす土木工事が行われた記事が多く見られ、人々が暮らしやすい土地を求め、地形を改良していたことがうかがえる。”
先人達の知恵と苦労に敬意を表さざるを得ない。

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